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○ 各委員からの「問題提起」(第2回〜第4回協議会より)

(2)「子育て支援についてー民間の視点から」  【杉山千佳委員より】

 私は、「子育て支援について―民間の視点から」ということで話をさせていただきたいと思います。
 もともと育児雑誌のライターをやりながら、その後、編集プロダクションをつくったりしていたわけなのですが、2001年に子育て支援のNPOの人たちがすごく頑張っていらっしゃるというのを取材の中で知る機会がありまして、そういったNPOの方々とか、行政の方、マスコミの方、それから民間企業の方などを結ぶメーリングリストを立ち上げて、今年で3年目に入ろうとしております。それは都内だけではなくて、全国各地のNPOの方たち、あとは子育てネットワークというようなネットワークの方たちなどをつないでいます。そういった中から、自分で感じたことなどをかいつまみながらご紹介していきたいと思います。
 まず、現状なのですけれども、私自身福井県の出身で、京都で大学の4年間を過ごした後に実家に帰ることをせずに東京に出てきたという、典型的な地方出身の東京にあこがれた人間のやることをやって現在に至っております。その中で感じたことは、やはり東京は地方と比べても、どの地域よりも多様性が認められているなということ。それから、首都であること、情報の中心であることを実感します。すぐ近くのよく行く場所で、あそこであったことがテレビに映っているというすごさ。例えば、田舎に住んでいると遠くの話なのですが、東京だと自分の住んでいる町のことをブラウン管で見ることができる、新聞でも見ることができる。これは中心になっているなという意識を非常に持つものだなと思います。それは自分の実生活と情報の世界とのバランスをうまくとることを要求するようにも思います。もうトレンディードラマとは言わないのかもしれませんが、そういった舞台にもなるけれども、子どもがそこにはなかなか登場していないという現状があります。
今日、資料で付けていただくようにお願いいたしました、『青少年の育成に関する有識者懇談会報告書』というのがあります。いろいろいいことが書いてあって、私も参加させてもらってすごくよかったなと思っています。そこの「青少年の健全育成に関する基本的考え方」という段の、「青少年の健全育成とは」という部分の下から3行目になるのですが、ここでいう「一人前の大人」とは――これは「一人前の大人」に成長していくのを支援しましょうというものにしたいと考えている報告書なのですが――、「国際化が進み、多様化、流動化する社会の中で自己選択、自己責任、相互支援を担い、他者とのかかわりの中で自己実現を図る、社会的に自立した個人を念頭に置いている」とあります。
 こういった「一人前の大人」を私たちは育てていこうとするわけなのですが、それでは自分はどうなのかと振り返ったときに、本当にできているのだろうかとはたと感じるわけです。特に、そういう多様性が認められる町、東京に住んでいると、いつもいつも多様な中から自分の責任で選んで生きていくことをしていかなければいけないのだということは、自由でありながら決して楽なことではない。敷かれたレールの上を、何も考えないで生きていくほうがどんなに楽かと感じることが多々あります。そういう中で、迷い迷いしながら若い親は生きている。その中で自分らしく深呼吸をすることすら、実は難しくなっているのではないのか。音羽の春奈ちゃんの事件などもそうなのですが、地方で暮らしていたらあの人はあんなことをしなかったのではないのかなというようなことを感じることもあります。あの事件があった後、「わかる、わかる」というふうに共感めいたことを反応してくるお母さんが多かったという話も聞いたことがありますが、こうした部分にも、自分らしく生きることが非常に困難になりつつある環境があるのかなと私は感じました。
 「東京は働く場ではあるけれども、生活する場ではないよね」というワードは、いろいろ聞くことなのですが、それでは「生活する場」というのはどういう場なのだろうかということを検証してみていくことは必要なのではないかと思います。そのヒントとして、例えば日本建築学会が「子どもの都市や環境に関する12カ条のガイドライン」というのを数年前だったかと思うのですけれども、つくったということもありますし、世界の中では都市で暮らす子どもたちの環境についてどうしようかということで、スウェーデンなどを中心に情報交換が活発に行われているということも聞いています。公園がありますとか、例えば東京都内には「羽根木プレーパーク」というのがありますとか、そういう拠点がありますというのではなくて、面として、まちづくりとして子どもの暮らす場を考えていくという視点が、今後必要になってくるのではないかと思っています。
 次に、具体的に入っていくのですけれども、まず母親についてちょっと見てみたいと思います。特に、行政施策を見て感じるのは、働くお母さんと家庭にいるお母さんを区別して考えている部分があるのではないかなと感じます。でも、女性は、育児のためにたまたま仕事をやめてしまった人もいるし、運よく働き続けることができた人もいる。母親である前に20代、30代、もしくは40代の大人の女性であるという扱いをするということが大前提ではないかと思っています。働いていようが、働いていなかろうが、初めての子育てでは同じように悩むし、戸惑いを感じているわけです。親として最低限必要なこと、これは父親も当然なのですが、見落としてはいけないことは、働く、働かないにかかわらずあるわけで、大事なのはそういうことに関係なしに、母親になった方に共通に必要な支援があるということではないかと思っています。
 前からカナダやニュージーランドの子育て支援が、かなり注目を集めていまして、ご存じの方も多いかと思うのですが、カナダの、日本でいう厚生省のようなところが、『ノーバディーズ・パーフェクト』というテキストを出していて、そういったテキストを使いながら親育ちの支援をしているといういきさつがあります。それは日本でも昨年発刊されまして、「ドメス出版」のほうから出ているわけなのですが、そこで言われているのは、「人は親として生まれてくるわけではありません。私たちはみな、周りの人に助けてもらいながら親になっていくのです」ということです。「完璧な親はいない」というのが本の題なわけなのですが、そういったところからスタートして、あなたはどんどん親になっていくのですよ、それを私たちはサポートしましょうという支援者がいる。その支援者たちのいる拠点が「ファミリーリソースセンター」です。カナダでは、「子育て支援」というよりも、「家族支援」という考え方で、その支援のためのあらゆるものがリソースセンターにはそろっています。それは全国的に画一されたものではなくて、その地域その地域、その事情に合わせてできる資源を用意している。もちろん、情報交換なども多様にやっているので、共通で使っているものもあると聞いています。センターには、例えば、遊び場があったりとか、親同士が多少おしゃべりできる場所があったり、おもちゃの貸し出しがあったりとか、衣料のリサイクルをやれる場があったり、紙おむつを無料で配付するというようなところがあったりとか、コインランドリーがあるというようなこともあるようです。ほかのリソースとしては、プログラムを用意して、例えば『ノーボディーズ・パーフェクト』を使って、親同士がディスカッションをするのをファシリテートする支援者がいるというプログラムを出したりとか、これは専門の機関に相談したほうがいいという場合の相談機関の紹介があったり、先ほど言ったように親同士で井戸端会議ができるような場所があったりする。その中で、悩んでいるのは自分だけではなかったのだと気づくことで、それだけで十分な親もたくさんいるわけです。同世代の親同士が「うちはこうしているわよ」とか、「ああ、そうだったんだ」ということを、お互いが会話をする中で、協力し合ってわかっていってコミュニティーをつくっていくということを特に重要視してやっている。ここでおもしろいなと思ったのは、迷ったときの相談窓口をたくさん開設しておいて「いつでもいらっしゃいね」というのではなくて、迷ったときに自分で解決する力を親が持つというところに支援の力点を置いている部分ではないかと思います。
 親になって不安なのは確かにそうなのですけれども、乳幼児期だけサポートしても、小学校に上がっても、中学校に上がってもずっと親は親ですので、結局、もともと自分で何とかしていこうという力を持たないといけない。「結果は自分が引き受ける」という対応をわきまえることは大切なことなのではないのかなと、私はそういう活動を見ながら思いました。
 次に、働く母親に必要なこととして、まずベースに、働く、働かないにかかわらず必要なことがあって、それから働く場合に必要なこととしては安心して働ける子どもの預け先、あと、時間的ゆとりだと思っています。榊原さんは「24時間の保育所」と言われましたが、もちろんそれはいろんな働き方があるわけですからあっていいと思うのですけれども、では「24時間開いているから24時間残業できるよね」というふうに、どんどんと働き方が開いている保育所の時間に合わせて延長していくのでは意味がないと私は思っていて、子育てを楽しいと感じられる時間的なゆとりというのは必要であろうと感じております。ワーキングマザーの方たちからいろんなお話を聞いたときに、時短があるまでは何とか働き続けられるけれども、お迎えの時間に間に合わないからここでやむなくあきらめる。その場合に、時短期間をもうちょっと延長するというやり方、あるいはそこでワークシェアリングをするとか、そういった働き方を進めていくということで、家事、子育てに使う時間を確保していくということの社会的な環境づくりというのも必要になってくるのではないかと思います。
 一方、仕事と家庭の両立についての適切なアドバイスを受ける機関というのが、そもそもまだ全然整備されていないのではないかと感じています。企業の中には、そういったお母さんたちが定期的に集まる場を設定して、それこそピア・カウンセリングのように、お互いがお互いの事情を話し合いながら、「ああ、そうか」というふうに解決策を見ていくというようなことをする部分もあるのですが、キャリアコンサルタントも養成されている昨今ですので、キャリア面と子育て面の両方からサポートできるような専門家という人が出てきてもいいのではないのかなと思っています。
 一方、専業主婦の母親に必要なことなのですけれども、潜在的に働きたいと思っている若い母親はとても多いわけです。けれども、預け先がなかったり、たまたま事情が許さなかったりで、今は子育てに専念しているという方たちは、先が見えない不安を一番訴えておられます。その中では、自分自身の人生をこれからどうするのか、ライフデザインを考える場所の提供。子育てが一段落したときにはこういった働き方、生き方があるよという、先を見せてあげる場所の提供というのが必要になってくるのではないかなと思っています。一方、キャリアキープであったり、キャリアアップのための学習や研修の機会の提供というのも、大切なのではないかなと思います。
 もう一つ大切なのは、職場の受け皿です。例えば、独身時代のように、残業を10時までやりながらばりばり働きたいなどということは思ってもいないだろうし、男性並みに出世をしていきたいというようなことよりは、仕事も家庭も両立させながら楽しい人生を送っていきたいという、女性たちのための再就職の場。それは決してぜいたくな悩みでも何でもない、当たり前のことだと思うのです。パート労働ではなくて、ある程度、収入を得て、社会保障も自分で担い、年金も払ってというような働き方のバックアップというのは必要になってくるのではないかと思います。子育て支援の場で、都内とか、首都圏近郊を取材させていただいてびっくりするのは、高学歴の専業主婦のお母さんをたくさんお見受けすることです。英語ができますとか、元スチュワーデスでしたとか、外資系でばりばり働いていましたとか。もったいないと思います。こういう人たちは、地域でもリーダー的な活躍をされるわけです。もちろん、地域の担い手になって、地域をどんどんいい形にしていくということもぜひやっていただきたいのですが、まだ若いのですからボランティアではなく社会の支え手として能力を発揮できる場を与えてあげていただきたいと常々思っております。
 一方、父親に関してなのですけれども、よく聞くのは、例えば「ファミリーフレンドリーな会社に勤めている奥さんを持つ夫の会社が得をしている」とか、「公務員の奥さんを持っている夫の会社が得をしている」。それはどういうことかというと、夫は働き方を変えずに子育て期を乗り越えることができる。一方で、ファミリーフレンドリーで女性が多い職場は、その分のコストを削減しながら、女性を支えて活躍していただいているわけなのです。それはやはり社会全体から見ても不公平だと私は思います。本人のみならず、職場など社会全体が男性の働き方も見直して、育児時間を確保していくということは必要なのではないかと思います。一方、「父親も子育てに参加する」というふうに言うのですが、参加ではなくて、父親はやはり親ですので、「積極的にかかわっていく」ものであろうと思います。それであれば、子育てを母親と同じように自分も担っているのだという責任を持って、自覚を育てることも必要だと思います。
 子育てのスキルを身につけるというのは、沐浴の方法であったり、おむつ換えもさることながら、この子はどういう発達過程を過ごして大きくなっていくのか、父親の出番はどういうポイントであったりするのだろうかということを学ぶ場、現場で実践する場、振り返りをする場が父親にも必要になってくるのではないかと思います。いわずもがなですが、家事能力というのを一方で高めていく必要はあるでしょう。あと、父親同士が話をする場の確保というのがほとんどないわけです。職場で、男性同士がお話をするときもあるようですが、それよりはやっぱり地域の中で、似たような年代のお子さんを持つお父さん同士がお酒を飲みながら、うちの子の話とかをするようなコミュニティーの場というのが、各地に育っていくということも必要ではないかなと思っています。
 地域ということで、特に杉並区、江東区、世田谷区あたりをちょっとヒヤリングしましたので、ご報告をさせていただきたいと思います。前段にも申し上げましたが、「子育て」と区切ってしまうよりも、「まちづくり」という視点で行政と市民が一緒になって取り組んでいくということが、今後は求められていくのではないのかと思っています。
 一つ、杉並区で昨年度、厚生労働省のほうの研究費もいただきながら、児童館と保育所を使って、中学生、高校生に赤ちゃんを育てるということはどういうことだろうと見てもらう体験を行いました。例えば、保育園にボランティアとして子どもさんが行くということはいろんなところであるのですが、それとはちょっとニュアンスを異にしています。というのは、行く前にきちんと子どもはどういうふうな状態で生まれ、育っていくのかという学習をして、ミルクづくりとはとか、赤ちゃんのうぶ着を実際に見てみるというような、実践をある程度してから保育園に行くわけです。そういうふうな学習をしてあったがために、得るものが全く変わってきて、特に女の子であれば私が将来妊娠して、子どもを産むのだということを自覚していく過程もあったようでした。また、赤ちゃんのお母さんがやってきて、「妊娠したときこんな気持ちだったのだよ」とか、「出産してこんな気持ちを感じ、今、こういうふうに子育てをしているんです」という報告をしたことで、「そうなんだ。私もこんなに大事にされて育ってきたんだ」という発見があったり、その体験を語ったお母さん自身が子どもを育てることを、改めて振り返ることができたりという報告があったようです。こういった交流が特別なものではなくて、地域で行われていく、当たり前になっていくことというのが大切なのではないかと思っています。聞くところによると、役所の縦割りがあって、中学生、高校生を集めたり学校のご協力をいただいたりするのにもちょっと手こずったというお話があり、今後続けていくのはできるだろうかと多少不安に思っているなんていうことを聞きますと、もったいないなというか、こういうことがやりたいねと思ったら、自然にできる受け皿が育っていくのは必要なのかなと思っています。そういう意味では、わりと柔軟な東京都から、こういうことをさまざまなケースでやっていくというのがいいのかなと思います。
 一方、江東区の場合です。今、江東区は急激な都市開発が進んでいて、ある地域は局地的に人口が増えていて、教室が足りない状況があり、一方は全くがらがら、0・1・2歳児でさえ空きがある保育園があるという状況があるそうです。これは都市開発に何か問題があったのではないのかということを一度検証してみるというのも必要なのですが、そうなってしまった地域に関しては柔軟な対応というのが求められていくのではないかと感じます。その中で、行政がそれを全部サポートできるかというと、期間も限定されていくことですし、相当難しいであろうと。そういったときに、NPOという民の活力を生かそうということが挙がってくるのだろうと思うのです。そういう意味では、都独自の支援のあり方というのも、あるのかもしれません。
 その中で、気をつけていきたいなと思うのが、一方的なサービスは依存型の体質を生むということです。これはある子ども家庭支援センターの職員の方がおっしゃっていたのですけれども、「東京は他の地域に比べてサービスが比較的充実しているのだけれども、その中でほんとうの意味での住民参加や、ともに学び、考え、育つといったことの実現を考えていかないと、子育て支援もまた違う方向へと行ってしまうおそれがある、それは現場でかかわっていく中で痛感していることだ」と伺っています。「どうしたんですか」と、いつも相談に乗ってあげますという態度で職員の方が向かうと、その人に対する関係性から、お母さんはいつも相談事を持ってくる人になってしまうという部分があります。そうではなくて、「気軽におしゃべりのできる関係をつくっていく。その中で、うまくその人の力を引き出していくということが必要になってくるのかな」とおっしゃっていました。
 もう一つ、世田谷の場合なのですけれども、社会福祉協議会などが助成金を援助する関係もありまして、お母さん自身が子育てサロンをやるということがかなり活発に行われているそうです。それは総合支援的なもので、自分も子どもが小さくて場が欲しかった。その場に、「いろんな地域のお母さんたち、ぜひ来てください」ということで、多少、お茶とかお菓子を用意しながら、その中で子育ての情報交換をやったりですとか、講師を呼んでの学習会をやったりですとか、赤ちゃんマッサージをやったりですとか、そういったことをやっている。彼女たちは児童館でサービスの受け手になることよりも、自分たちが何かをやりたいという方が多いわけです。それは当然だと思います。例えば、独身時代に残業をやりながら、男性並みに企画書をつくって、プレゼンをして、営業をしていたという仕事をしていた人が子育てだけで満足できるわけがない。自分たちで何か企画を立てて子育てを楽しんでいきたいという気持ちはあるわけで、その中でどんな支援ができるかということを、見方を変えていかなければいけない時期に差しかかっているのではないかと思うのです。欲しいのは、拠点であったり、児童館との連携も当然必要になってくるのですけれども、それはプログラムが全部用意してある中に、「さあ、どうぞ。お母さんとお子さん、いらっしゃい」というようなやり方では、もはや通用しなくなっているのではないかというふうに思っています。特に世田谷は、「羽根木プレーパーク」や「世田谷プレーパーク」、今度は4つ目のプレーパークもできるという話ですが、そういった活動があったりとか、自主保育の活動などが古くからある町で、「市民と行政の協働のまちづくり」というのが、「協働」とか「NPO」という言葉のできる前から少しずつ進んできたところだということもありまして、住民の意識も行政の意識も大分違っているのだなという印象を受けました。例えば、市民の中にも「行政は何もやってくれない。やってほしい」ということよりは、自分たちで何とかしていく。「ここが足りないね、ここが足りないね、どうしようか」というふうに、積極的に地域のまちづくりにかかわっていこうとしている。一方、行政の職員の方々も全部自分たちがやらなければいけないとは思っていなくて、わりと目線が同じように、横並びで、市民の方と、「じゃ、どうしましょうか。行政的にはこれができますよ」とか、文字通り「協働のまちづくり」を意識しているというところがあるようです。私などは、今後、そういった市民と行政のあり方というのが広がっていくのではないのかなと感じておりまして、お互いが意識を変えて新しいかかわり方をあれこれ模索していくのが大事なのではないかと思っています。
 「これからは自助、共助、公助」と書いたのですけれども、「自助」は自分で何とかしていく部分です。親であれば、親としてここまではちゃんとやろうという部分。「共助」というのは地域の中で何とかできる部分は何とかしていきましょうよという部分です。また、これは行政に頼むというか、税金を使ってやってもらうことでしょうという部分もあるというふうに、役割分担、領域というのがあって、何でもかんでも行政がやる必要はない。そのあたりをお互いに検討し合いながら、領域を考えていくという作業をしていくことが必要になってくるのではないのかと思っております。
 以上です。

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