コラム(「子育てと仕事の両立」についての委員からのエッセイ)
多様な働き方と柔軟な子育て支援
この協議会を通して、東京都が現在行なっている子育て支援策を知る機会が得られました。それまでは「在宅で働いているのに何のサポートも得られない」と思っていましたが、私の無知が原因だと分かったと同時にもっと都の情報を知りたいと思いました。
今後は都が行なっている方策をもっと積極的に情報公開を進めて、身近なものにしてほしいです。
「働き方」についてですが、近い将来に向けてその多様化が進むと思います。それはフルタイムだけではなく、在宅であったり、フリーであったり、さまざまなものになるはずです。子育ての形も変化するはずで、それに伴い子育て支援策も柔軟な対応が必要です。働いていないとき支援策に快く参加したいと考えている人、子育てが一段落した人で子育てに再度関わりたいと考えている人など潜在的な地域の力は有り余っています。そのような力を研修などで充分に教育・指導をして子育てのエキスパートとして地域の子育てに積極的に活かしていってはどうでしょうか。
その地域の力を、子育てサービスを行なう一企業として東京都が認めること、またノウハウ等お金以外の支援をも行なうことが大切だと思います。つまり、ファミリー・サポート・センターの民間会社化―プロフェッショナルな子育てサービス集団の設立をするわけです。現在以上に子育ての環境づくりへの認識や関心が高まると思います。
その民間会社では働いてない母へのサポートも視野に入れ、「多角的な子育てサービス」に広がればと考えます。
確かに企業設立にはお金がかかります。しかし、企業という形をとれば、収益増加を願うであろうし、育児の重要性などをはじめ、「育児」に対する社会の考え方もこの企業を通して変えられるかもしれません。
この会議に参加させていただき、あらためて「子育てと仕事」を両立することの困難さを自覚しました。多くの人々が少しずつでも協力をし、女性も男性も仕事をしつつ、快く子育てできる環境整備が必要です。微力ながら私もそのような環境づくりのために、引き続きお手伝いをしていきたいです。
「生活しづらい」
「生活しづらい。」ここから全ては始まっている。住環境が貧弱、子どもの養育費が馬鹿にならない、食べ物は簡単に手に入るけれど安全でないものも氾濫しているらしい、顔見知り程度の知人ならすぐできるし、沢山いるけれど心から信頼できる人は少ない、子どもを巡る環境が自分達の頃とはかけ離れてきており子育てに気後れ、倦怠感を感ずる、などなど。こんなのは仕事社会が主たる居場所で住社会は従となっていたり、生活パターンが一戸内完結型になって近隣関係はなかなか近寄り難いもの、としていることとも関係あるのではないか。「生活しづらい」からといって非婚、晩婚が進んだり、出産・育児を避ける人が増えればますます「一戸内にこもる」住社会形成となる。このような悪循環の賜が「少子化」とそこから派生するとんでもなく広範囲に渡る様々な諸現象であると思う。
子どものことを考える。本来子どもは一戸内完結などで済むものではない。絶えず外に向かって発信したがるし外から受容したがる。子どもを通して親の交友範囲が拡がったとか社交性が増したなんて話はホントよく聞くではないか。子どもが救ってくれる場面は多々ある。
「子ども即ち住社会の主人公」「私たちは住社会を取り戻すべきなのでしょう」こんなキーワードについて考えていると、生活しづらくしているのは誰のせいでもない、自分らのせいかもしれないし、じゃあ人のせいにしないで自分らから、本当はこうしたかったんだということをもう、始めなくてはならないのではないか。「生活しづらさ改善セクター」なる市民(都民)が社会においてどう役割を果たしていくのか、その中身は?などと考えるこのごろである。
“子どもが輝くまち東京”のために
婚姻や出生率が低下する背景は、いろいろ考えられますが新しい価値観の下「結婚や出産はしたくない。自分らしい生き方を」という人は別として「子どもを生み育てたい」という人達が経済的や仕事面又は育児環境の問題で産みたくても産めないということに対しては、やはり社会整備を整える必要性を大いに感じている。核家族化がより進む現実では夫婦の親が面倒を見るという形態は次第に少なくなってしまうと思われる。一方母親が家庭に入り子育てを独りで行うということが主流になっていく訳だがそこには、やはり経済的な問題や育児ノイローゼなど子育てに希望がもてない等の不安を多く抱えてしまう現実も忘れてはならない。保育所だけでなくファミリー・サポート制度が各自治体や民間で、より積極的に導入され地域の温かい目で子どもたちや若い両親を支えていくような環境づくりこそが大切である。人生の先輩である高齢者から育児を学び、子育てのアドバイスをしてもらい子育ての悩みや不安を解消していくことに繋がっていく。そして父親の意識改革もとても大切かつ必要である。“子育ては両親が共に支え合いしていくもの”という認識をもち、育児休暇の取得も社会の目や組織の呪縛等があるが子どもを育てていく権利や責任として、勇気をもって活用することをして欲しいし、父親同士の交流の場なども提唱したい。
子育ての悩みは何時になっても尽きないと思うが昨今増え続けている子どもの不登校や中退者の問題は、幼少期の子育ても大きな影響をもたらしていることを考えると両親が共に子育てを行いそれを地域がサポートするシステムづくりが急務である。「若者が希望を持てない社会」こそ一番未来が暗いことはない。そして子どもたちにさえも希望が持てなくなってしまう結果になることこそ何より残念である。そのようなことにならないためにも若者がより社会に対し、積極的に提言し行動していくことが新生面を切り拓き未来に明るい指針を与える道と考える。
「子育てと仕事の両立」
子育てと仕事の両立この現実の選択に立たされた時、多くの女性が悩みこれまで勤めた職場をやめてしまったでしょうか。子育てをしながら仕事を続けることは、家族はもとより職場での理解や協力がなくては、容易に出来る事ではありません。
連合は、子育てと仕事の両立を目指す人達をサポートするために、これまで育児休業法入れ、一定の前進を果たしてきましたが、制度の定着という面で充分浸透しているかという点では難しい面もあります。即ち、育児休暇の取得率を見ても、国や地方自治体で働く公務員さらには大企業で働く人達は制度的にもしっかりしていますが、勤労者全体の約7割を占める、中小企業で働く人達やパートの人達は企業内の制度すら無い或いはパートだから元々適用外とされているのが実態であり、中小企業やパートで働く人達にも一層の制度導入や浸透を進める事も大切と考えています。
また、核家族化の中で仕事と両立するために、子どもを安心して託せる保育所や託児所の整備が求められてきますが、最寄りの駅から遠い、延長保育をしてくれる所が少ない、民間の託児所・保育所は料金も高いなど様々な問題もあります。
少子高齢化社会の到来に言われる様に、日本の人口構成は大きく変化しており、だれもが子育てや介護をしながら仕事をこなす、両立した社会システムづくりがいま私たちに求められています。大人は安心して働き子どもが群れ遊ぶ、活力のあるそんな首都東京にする為に微力ではありますが、連合東京としてあらゆる機会を通じて改善の努力を続けていくこととします。
三つの条件 with Heart
夫は新聞記者、妻は公務員という共働き家庭で、二人の子どもを育てた。子どもは保育園に預け、毎朝送るのが私の“ノルマ”になった。そんな経験から仕事と家庭の両立をどう図るかという課題を考えた時、大きく三つの条件整備が必要だと考えている。
第一はフレキシブルな勤務形態と子育てに係わることができる勤務時間、第二は保育所などの充実、第三が夫の育児参加だ。あえてもう一つ、条件をつければ、近くに親族がいることだが、わが家はそれは望めなかった。ま、おじいちゃん、おばあちゃんの老後人生の一部を孫の世話に提供して欲しいというのはなんとも虫のいい話なので、これは小さな声で言っておこう。
この三条件が整っても、迷いは消えない。親の都合で、子どもを他人に預けて本当にいいのかという自問自答がいつも心の中で繰り返された。子どもと接する時間の長さじゃない、「質」が大事と手前勝手な理屈をつけ、保育所から帰った子どもを必ず抱きしめるようにした。それが我が子への、私流の“償い”だった。
新聞記者として、四半世紀を男、そして女の生き方の取材に情熱を傾けた。そこまで打ち込んだ背景には、共働きという個人的体験が大きく影響している。家事・育児をどうシェアするか、日中の親不在の埋め合わせを子どもと顔を合わせた時どう行うのか…。共働き家庭の課題は尽きない。その一つひとつに納得のいく答えを見つけようとしているうちに、深みにはまったという感じである。
結局、子育てと仕事の両立をどう図るかという問題は、ハードとソフトの両面からのアプローチが必要なのだと思う。はやりの言葉である「仕事と家庭の両立支援」の充実と同時に、子どもの心を常に思いやる姿勢−−その両者がかみ合わないとうまくいかないというのが、長いこと生活記者を続けてきて得た結論である。
『子育てと仕事の両立』のためには、職場・雇用環境の整備など子育てしやすい環境づくりが第一でありますが、私自身の30年余りの共働き経験から身近な地域で子育て支援の組織作りも必要だと痛感しておりました。定年退職を機に同時に開設されたばかりの、八王子市ファミリー・サポート・センターに「提供会員」として登録して支援活動に参加しております。「子育ての手助けをして欲しい人」と「子育ての手伝いをしたい人」との相互援助活動を行う会員組織ですが、開設以来保育園の送迎支援や、軽い病気・病後の世話、その他緊急時のお助けマンとして、働くお母さん達の強力な助っ人として、信頼の輪が広がりつつあります。隣合って住んでても交流の少ない地域住民が、この組織がきっかけで会話が始まり、特に若いお母さんから「気軽に育児などの相談できる人が近くに住んでる。しかもいざって時は助けてもらえるって、安心感が何よりね」と。また、専業主婦からも、育児不安や密室育児の問題などの解消に期待されてるようです。
一方、提供会員からは,熟年夫婦二人だけの単調な暮らしに、子育ての明るい会話が復活したとか、親と断絶状態の中学生の子どもが、子どもを預かる日には早く帰って一緒に遊ぶようになり「お兄ちゃん」などと慕われて、家族とも話をするようになり助かりました、等子育てのみならずファミリーのサポートとしての効果もありそうです。
残念なことは、「提供会員」の登録者が少ないのです。時間的にゆとりのある熟年パワーの活性化のためにも、ぜひ子育ての大先輩の経験力を提供して欲しいと願ってます。
次世代を担う子どもたちを健やかに育む環境を整備して、若い夫婦が子育てに夢を描き、子育てを楽しむゆとりを持てるように、社会全体が子育てに関心を向け、職場・地域では、子育て支援ネットワークの、核となるような人材の養成が急務だと思います。
『子育ては21世紀の人材育成』
少子・高齢社会の課題は、労働人口の減少・経済活動の停滞、そして教育問題にまで及ぶ大事である。これからは、「働きながら出産・子育てをする世代が両立しやすい環境整備」を、「企業」「個人」「社会」それぞれの角度から考えていかねばならない。
企業は、企業本位の雇用の在り方から‘個人の自律&企業の支援型’へと抜本的な雇用・人事改革が必要となる。出産や育児においては、直接的支援は不可能であり「親である男女社員に、21世紀を担ってくれる個(子)を育てるための時間&精神的ゆとりを与えながらも、仕事の量・質を低下させない勤務の仕方」を開発するか、「働き方が変わらざるを得ない場合は働き方に見合った処遇の検討」などが課題となる。個人の能力と生活事情によって選択可能な「キャリアコース(就業コース)の多様化」、派遣・パート・契約社員などを正当に活用した「ワーキングスタイル(雇用形態)の多様化」、これらをベースに‘能力次第で出入り自由な人事システム’ を労働市場全体で検討することは、働く女性のみのためではなく、国民一人ひとりの働きやすさ・生活しやすさに繋がる。
個としての女性も、結婚・出産・育児などを考える時、長期ビジョンでの職業観も視野に入れ、ライフビジョン・キャリアビジョンを描くことが重要。そして、それを実現させるための「キャリア開発」「生活環境の整備」など、個人の努力も大切になる。
「子育ては21世紀の人材育成」である。人の気持ちが分かり、物事を本質的に判断でき、将来私たちの生活をも支えてくれる‘個’へと育てていかねばならない。社会に出てからでは遅すぎる教育もある。日々成長する子どもの心と体を考え、子どもの発進する心の信号や興味のもちどころを、きちんと受け止めてあげられる心のゆとりを、親を中心に社会全体がもつことが重要ではないだろうか。仕事優先・企業優位の効率のよい子育てや保育を考えるのでなく、子どもの育っていく過程をきちんと視野に入れたシステム作りが、結果的には、21世紀の素晴らしい日本社会を形成するように思える。
お父さんも子育てに参加して!!
「仕事もしたい、子育てもしたい」と「子育てと仕事の両立」について真剣に悩むのは、圧倒的に女性のほうが多いと思います。「仕事をしない人生は考えられない」から、子どもを預かってくれるところを一生懸命探し、やっと子どもにとって安心だと思われる所を探し当ててから、「ぜひ子どもをみてほしい」とアピールを繰り返す。運良く子どもの落ち着き先が決まってからも、小さい子どもは始終、熱を出したりします。長い夜が明けて、子どもの熱が下がってから、子どもをみてくださるところに連れていくとき、「職場に迷惑をかけないですんで良かった」と言う思いに、「子どもに申し訳ない」という罪悪感が入り交じります。
では、仕事を持つ女性の夫はどんな思いでいるのでしょうか。最近は育児休業制度や育児時間をとる夫が出てきましたが、まだまだ少数派だと思います。ある世論調査によると、妻が働くことについて「家事・育児に差し支えない程度になら働いていい」と考えている夫が多いそうです。また、ある国際比較調査では、男性の家事・社会活動時間の割合は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの諸国がいずれも30%台であるのに、日本の場合は5%とかなり低い水準です。日本の父親達が子どもと接する時間が最も少なく一日17分という調査結果もあります。夫達のなかから、子育てのおもしろさに目覚め、「仕事も、育児も」という人達が大勢出てくることを期待したいと思います。安心して子どもを預けられるところがあって、夫の協力が得られ、「子育ては社会でするもの」という認識が一般的になったら、少子化傾向に少しは歯止めがかかると思います。
子育てと仕事の両立に思う
少子高齢化が進み核家族が多くなってきた現今の中で、子育てと仕事の両立を考えるとき、子育ては男女双方の問題なのはよく判りますが、父親、母親だけの問題としてではなく、家族としての考慮も必要ではないだろうか。
家庭、子育て、仕事を両立させたいと考えるなら、夫婦だけの問題として考えるのではなく、まして母親だけの責任ではないのです。また、子育ての幼児の時代、小学生、中学生、高校生の時代の子どもに対しての接し方は大きく違うことは言うまでもないことです。
もっと胸襟を開いて、周りの人にも協力をもとめることも必要でしょう。例えば両親と同居することも一つなら、近所に子育て経験のある年配の人との交流、共助をもとめることも大事であると思います。
地域の団体組織にPTA、子ども会、母の会等がありますが、このような会は自分の子どもだけの活動でなく集って来る子どもたちに対しての支援があります。同じ悩みをもつ仲間での話も大事ですが、社会のよき先輩に共助してもらうことを考えることも大事ではないでしょうか。子育ては長期にわたることを心して取り組むべき問題です。
楽しく子育てをし、家庭での協力を得て精神的負担の少ない仕事が出来ると、働くことの喜び、子育ての喜びは最高になると思います。
安心して子どもを産める社会になることを願う
総合職として10年、管理職であった私は育児休暇から復帰する条件として、子どもを産む前と同じく男性と同等に働くことを求められた。復帰後、深夜12時過ぎることも多々あり、仕事も子どもにも手を抜けなかった私は、何が自分にとって大事かを考えて、退職を決意した。
両立をより可能にするために、まず第一に社会のメカニズムが変わってほしいと思う。会社に長時間縛られている会社員は、育児をしたくても会社でそれなりの評価を得ようと思えば、子育てする時間がない。今後、人材は流動化し、インターネット等から会社の組織もフラットになることが予測されるから、働き方も多様になるであろう。その中で企業は、女性が子どもの幼いうちは、週3日勤務や在宅勤務を選択でき、子どもの成長後、能力次第でまた元に戻ることができるような多様性をもってほしい。国の施策としては、そのモデルケースを推進し、また育児休暇の延長を実施してほしいと思う。
第二に、預け先が充実して欲しい。保育園の待機待ちはゼロにし、体制も子どもが幼いうちは、保母1人に対して子ども2人にするなど手厚くしてほしい。また、保育時間も終了時が19時では早すぎるので、夜間保育をもっと充実させてほしい。そのために場所と人材の確保が急務だと思う。また、子どもは地域に密着して育てるべきなので、保育ママ制度をもっと充実させてほしい。
第三に、再雇用制度の完備が必要だ。長い人生だから、特に幼い時期に自分の子を自分で育てることも大切な仕事だと思う。むしろその後に働く道が閉ざされてしまうことの方が問題である。そこで休んでいる間にスキルアップできるような教育制度、例えば、託児つき資格講座の推進や再雇用した企業に援助金を出すなども視野にいれてほしい。
子どもは社会の宝である。少子高齢化社会に向けて、子どもを安心して産める社会になることを願う。
「普通のこと」と受けとめて
私自身、現在小学4年と小学2年の2人の子どもを持ち、曲がりなりにも子育てと仕事を続けてきた。子育てと仕事の両立、などという気負った思いはなく、子どももほしい、仕事も辞めたくない、という私にとってごく普通の望みを捨てずにきただけである。幸い周りの理解や支援もあり、なんとかここまでやってきたというのが率直な感想である。
けれども、友人の中には、子育てもしたい、仕事もしたい、という希望が叶わずに、やむなく仕事を辞めていった人達がたくさんいる。子育てが大変な時期に忙しい部署に異動になった、夫が転勤になった、子どもが保育園になじめない…。優秀な女性が、もう少しのところの壁の前で仕事を辞めていくのは本当に残念である。一方で、自分のキャリア設計を考えて子どもを持たない選択をしている女性もたくさんいる。
私が長男を産んだ10年前に比べて、子育てと仕事を取り巻く環境は格段に前進したが、それでも子育てと仕事の両方とも大事にしたいと考える人達にとっては、まだまだ障害は多い。そして、それは、制度的な不備というよりは、その基底にある意識や価値観の問題が大きいような気がする。私が子どもを持ちながら仕事を続けることができた理由を今振り返って考えてみると、それを普通のことと周囲が受け止めてくれたことが何よりも大きかったのではないかと思う。少なくとも、仕事を辞めることにつながるプッシュ要因はまったくなかった(子どもと一緒にいたいというプル要因はあったが)。
子どもを持って働く女性なら、一度は「子育てか仕事か」で悩んだ経験を持っているのではないだろうか。子育てと仕事の両立の問題は女性問題と捉えられがちであり、子どもを持つ男性にとっての問題という認識はまだまだ薄い。この問題を女性の問題として矮小化せずに、男女双方の問題として多くの人が共有化して、初めて前進があると思う。
お父さん、がんばってる!
先日、生後八か月になる次男が初めて39℃の高熱を出しました。たまたま、妻は仕事が忙しく、私に比較的時間の余裕があったので、私が近くの小児科医院に連れて行きました。医院の先生は二日続けてやってくる私の顔を見て言いました。「お母さんは来れないのですか?お父さんよりお母さんの方が子どものことをよく把握してますからね。」
確かに、先生のおっしゃるとおり、子どもはまだ母親のお乳を吸っているし、寝るときも母親といっしょだから、お母さんの方が子どものことを肌で感じていると思います。でも、私だって、子どもが泣けば抱いてあやすし、保育園の送迎や入浴など、母親並みとは言わないまでも、がんばって子育てをやっているんですけれど、やはり父親じゃあダメなんでしょうか。
3か月ほど前
、仕事を半日休んで長女を3歳時検診に連れて行きました。長男のときも含めて、保健所への検診は何度か行きましたが、待合室でたくさんの親子を見ていると、ほぼ100%お母さんです。まれに両親で来ていることがありますが、父親だけというのはまだお目にかかっていません。そういう中で、気恥ずかしいながらも、父親だって子育てできるんだと無言でまわりのお母さん達にアピールしていました。
しかし、今回は違いました。普段は機嫌のよい娘が、保健婦さんとの面接でなぜか緊張して、「絶対帰る」と言い出し、身体測定や医師の診察を泣きながら拒否して、大修羅場を演じてくれます。まわりの子どもたちはそんなことなく、お母さんの言うことをちゃんと聞いています。保健婦さん達は慣れた様子で暖かく待ってくれます。しかし、私は内心焦りました。やっぱりお父さんじゃダメなんじゃないだろうか。少なくとも自分ではそんなはずはないと思っても、まわりの人はそうは見ていないのではないだろうか。
世間のお父さん達よりは子育てに参加しているという自負を持ちながらも、心のどこかで、やはり母親の力にはかなわないと、自信を失いかけたり、まわりの視線を気にしながら、毎日3人の子どもたちを保育園に送っています。
女性の就業と企業の対応
企業にとって社員が個人的な問題を抱えることなく安心して業務に専念できる環境を作ることは、これからの企業経営には欠かせない問題だと感じている。一つの家族で一人の働き手と言う時代には、働いていない家族が支援をしてくれる状況が当たり前であったが、共働きの家庭の場合には育児や介護の問題は夫婦二人で負担していくのは当然であるからだ。
これまで、育児が女性特有の問題として企業のなかではなかなか具体的な支援策が立てられ難いのは、企業が男性中心の社会であり女性は基幹人材としての活用が図られていない時代が長かったため、辞めても構わない存在だったからとも言える。しかし、企業にとってもコストをかけて採用し、折角育てた優秀な人材が個人的な都合で退職を止む無くすることは極力避けたい筈だ。また社員が安心して仕事に専念できるように業務以外の問題にも企業が配慮し問題解決をすることは、ひいては経営に貢献する人材の育成・確保に寄与することにもなる。
少子化の傾向は今後も続くと言われているが、若年労働力減少の時代には少なくとも今よりももっと共働きの家庭が増えることになり、女性だけでなく男性も仕事と家庭の両立の問題を抱える。また若年層を中心とする価値観の多様化は生活の基盤についても変化をもたらし、結婚や離婚に関しても自由になりつつあり、こうした傾向は明確に企業の人事施策に影響を与えてくる。
良い人材を確保したい企業にとっては、これまでの企業効率優先の枠組みから脱皮して、個人の抱える問題に対応できる仕組みを作っていく必要があると考えている。その点からもまず「子育てと仕事の両立」が可能になる環境整備を本気で考えてほしいと感じている。
「両立支援は社会活性化の起爆剤」
米国シリコン・バレイの企業を訪問したとき、あまりにも社員の働き方が自由なのに驚いて、社長に 「そんなに社員に自由を認めて、企業経営は大丈夫なのか。」と尋ねたことがある。何しろ働く恰好はもとより、働く時間、働く場所まで、すべて社員が自分で選べる仕組みになっているというのである。社員にそんなに勝手にやらせておいて、仕事の収拾はつかなくなるのではないかと心配し、先のような質問をしてみたのである。
するとその社長いわく、「何もせずに9時から5時まで机に向かっている社員のほうがよいのか、それとも自分の生活に合わせていろいろ工夫する社員の方が企業にとっては望ましいのか。それは業績を見れば、一目瞭然である。競争の激しいシリコン・バレイだからこそ、社員を縛りつけるのではなく、自発的に知恵を出せる仕組みを講じておく必要がある。もちろん結果は自己責任につながるように、しっかりした査定制度は作られている。」というのである。
競争の激しい社会になればなるほど、社員をむやみに拘束するのではなく、自己選択、自己責任のとれる体制を築くことが重要になる。そしてそのことは、各自の生活のニーズに合わせて働ける環境の整備を促す。子どもを育てながら働くことのできる社会になってこそ、個人が努力することにより意欲と能力を十分発揮できる活性化した社会になることができるのである。
親父の味はポトフ
研究者で世間知らずの共働き夫婦に子どもが生まれた。困ったのは食事だった。父親である私は東京下町の商人の家に、姉二人の下の跡取り息子として生まれた。使用人も多かったので、結婚するまで、リンゴの皮をむくのはむろん、包丁にさわることもなかった。
ワイフが仕事に出た後、子どもと家に残る日がある。そうした時がピンチで、1歳の子ども連れでラーメン屋や定食屋に入っても子どもの食べれるものがない。子どもの栄養も気になるし、何とか手作りの料理を作りたいと思った。
そうはいっても、どうしてよいか分からない。たまたま岡本太郎の本に、貧乏画学生の頃、パリの下宿でポトフを作ったと書いてあった。大きな鍋に牛肉の塊とじゃが芋や人参、たまねぎをまるのまま入れる。そして、あくをとりながら、じっくり煮込むとおいしいポトフができるという。
記述を読んで、「これだ」と思った。なにより、包丁を使わないので助かる。さっそく大きな鍋を買ってきて、人参やじゃが芋の皮を皮むき器でむいて、ポトフの準備に入った。肉のかたまりをストーブの上で二時間ほど煮た後、野菜を入れた。見様見真似で、塩と胡椒で味つけをすると、数時間後、それなりに食べれるポトフが完成した。ホームメイドなので、安心できる上に、子どもがおいしそうに食べるので、親としてうれしかった。
ポトフを大量に作ってしまったので、翌日は牛乳を入れ、ホワイトシチュー仕立て、次にピュレーでトマト味のシチューに変身させた。ポトフを頼りに親子で一週間を過ごした感じだった。
ポトフににんにくや香料が入ってないし、肉の下炒めもしてない。荒削りで料理以前のものだが、これが試作第一号だった。成功に自信をえて、料理の本と首っ引きでレパートリーを広げていった。それから三十年、現在でも、子どもの誕生日前後にポトフを作ることが多い。子どもたちにとって、親父の味はポトフと決まったらしい。
結婚し、妊娠しても仕事を続けようとする女性が増えている。働く母親達が集まると、「あそこは保育園が入りやすい」「いや、フルタイム勤務でも入れない人がいるらしい」「あの市の学童保育はひどい」といった話で持ちきりだ。それを聞いている若い独身の女性達は「働く女は子どもを産むなということですかね」と嘆く。
もともと、東京は高額所得の男性が多く、その妻である専業主婦の多い所だった。実は、地方の女性は昔も今も働き続けている。生き甲斐とか、自己実現のためではなく、男性の所得が低いため、共働きでないと子どもを育てていけないのだ。東京で働く母親達が増えてきているのも、男性の雇用の不安定化や所得の低下に大きな原因がある。大手企業もあっさり潰れる最近では、安定した仕事と収入のある夫に、専業主婦というのは一部の恵まれた人だけに成りつつある。子どもたちが経済的に安定した生活を送れるようになるためにも、共働きが不可欠になってきている。
これは日本だけでなく、失業率が高い欧米でも同じ状況であり、子どもたちが貧困の中で育つ問題が深刻化している。OECDが97年に出したレポートでも、「子どもたちが安定した環境で育つためには、若い子育て世帯の経済的な基盤の確立が不可欠である。そして、最も有効な手段は共働きの奨励である。世帯に2人の稼ぎ手がいれば、両親の失業のリスクに子どもがさらされることもない。」とされ、さらに、「保育園は両親の就労を支えると言うよりは、地域環境の悪化の中で、子どもたちの健全な育ちを守るために不可欠な場所と評価され始めている。さらに、“子どものため”という建前の下で、若い親の労働時間の現実を無視した短い保育時間は、結局は若い親と子どもを追いつめることにしかならない。子どもたちの生活の現実を踏まえた、包括的な保育政策が必要である」とされている。さて、今の東京の保育は子どもたちの現実に沿ったものになっているだろうか。
「子育てと仕事の両立」
子どもたちが心身ともに健やかに育つ。
このことは保護者はもちろんのこと、都民全ての人の願いであります。最近の子どもたちの健全育成上の課題として、ナイフ事件、いじめや不登校、オヤジ狩り、援助交際、薬物乱用、万引、家出、キレる子、校内暴力、器物破壊、学級崩壊、保健室登校児等がみられ憂慮すべき状況にあり、この願いは切実であります。
「子どもは社会の鏡」であり、子どもの問題は大人の自覚と責任、反省の問題でもあります。子育ての中心はあくまでも家庭にありますが、学校、家庭、地域・社会の三者が自らの役割を自覚し責任を果たすと同時に、三者相互の言葉ではなく、実践を伴った密なる連携が何よりも大切であります。
「ダメなものはダメ」、「絶対許せない」、と子どもを叱ったり、良いことを誉め励ます父親役、母親役や小言を言い続けることが家庭や地域・社会から消えつつあるようで残念です。一方、女性の社会参加の進展と共働き家庭の増加等により安心して子育てと仕事の両立ができる環境づくりが急務であります。
このことは青少年の健全育成と無関係ではありません。バブル経済の崩壊により失業やリストラの増加、雇用環境の悪化、離婚や家庭崩壊等がみられ、子育てに伴う経済的負担とあいまって、子育て不安や子育てノイローゼをつのらせています。子どもたちの生活と直接、間接にかかわっています。誰でもが安心して子育てと仕事の両立ができる環境づくりは緊急事であります。
「子育て」を「特別なこと」から「当然」のことへ
「子育てと仕事は両立できないものだということは知らなかった」と始めたら常識知らずだと思われるでしょうか?「そんなことを言っていられるのも今のうち」と経験者達は冷たく言い放つのでしょうか?
「子育て」と「仕事」が両立できない、どちらかを選択しなければならない行為であるという現在の状態は、いつ、どのようにして成り立ってきたのでしょう。研究的に言えば、高度成長期以降の専業主婦化等など、過去を振り返り様々な分析ができます。しかし、一番この現状を支えてきたのは、社会の大半が「当然」としてきたことを「特別なこと」とし、「特別なこと」としてきたことを「当然」としてきた意識ではないでしょうか。そして、今、あらゆる段階で、場面で取り組まれている子育て支援、少子化対策等は、この意識を変革していく社会改良の過程にある作業であると捉えることができるでしょう。
子育てと仕事の両立は女性だけの問題では決してないことを社会の人々の何割が本当に理解しているでしょうか。頭で理解していても、それを実践できなければいつまでも「特別なこと」で終わってしまいます。男性も自分自身の身に起こる当然のこととして、「子育て」という行為を捉えること。そして、女性も誰の身にも起こる当然のこととして「働く」という行為を捉えること。この両方が同時に行われない限り、「子育て」も「仕事」もいつまでも「特別なこと」のままであり、「私には関係がない」、「子どもを持っている人だけが考えればいいこと」等という感情は残っていきます。「子育て」と一口に言っても、その中身は多様であり、その多様性が「子育て」をめぐる意識形成を阻んでいる、いつまでも「特別なこと」のままにしてしまっている原因でもあるのです。
少子化を社会的問題として政府がいくら取り上げても、国民生活のレベルで実感を伴ってこないのは、政策の枠組み自体が、「子どもを持つこと」、「子育てをすること」が「特別なこと」と定義して組み立てられているからであるとは言えないでしょうか。今、介護保保険を始めとして多くの高齢者施策に目が向けられているのは、高齢者の数が多いからでもあります。「子育てをすること」は加齢するのと同じように、男女を問わず、時期がくれば個人個人の生活に合わせて起こり得る事象であるというように考えるにより、「子育て」という行為を「特別なこと」から「当然のこと」へと転換していくことができないでしょうか。このことによって、パッチワーク的につぎはぎしてきた支援サービスではないものが初めて実現するのではないかと思います。
「出産・育児がハンディキャップとしてとらえられる社会では、非婚・晩婚・少子化はさけられない」この言葉はあるアンケート調査の自由記述回答に書かれた言葉です。私たちが求めているのは、冒頭の常識知らずの発言をためらいなく言うことができる社会であり、時代ではないかと思います。
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